ワークショップ

WORKSHOP
ヒダオサムは依頼があれば、保育士向けの研修会、親子向けのイベントなどに出向いて、造形あそび、工作などのワークショップや、工作ショウを行っています。内容は以下のようなものです

 いのちをみつける粘土シアター  造形作家のヒダオサムさんと一緒に、親子で楽しくねんどじん(ねんどでできたお人形)をつくります。そして、自分でつくりあげたねんどじんとお話の世界をつくってみましょう。お母さんやお父さんと一緒にねんどじんに名前をつけたり空をとばせたりしてみよう。ねんどでつくった「かたち」は、劇の主役になることで、「いのち」があたえられます。みんなでつくって、劇を見て、感動しましょう。
 いのちをみつける紙遊び おりがみや色画用紙にいのちをふきこむ、動くおもちゃの連打法。
古新聞にんじゃあそび 新聞紙をつかって、ダイナミックにあそびます。
空き缶でつくろう!  空き缶を使ってかんたんなおもちゃをつくります
手作りおもちゃ教室  牛乳パックやペットボトルなど身近なものを使っておもちゃを作ります
ジャンボ風船工作ショウ 
マリオネットを作ろう  簡単なマリオネットを作ります

「かたち」に「いのち」をみつける心
研修会で

ふだんは「つくってあそぼ」の裏方として、造形アイデアを考えるのが私の仕事ですが、たまに、園の先生方の研修会に招かれて、造形あそびの講習会を行うことがあります。
色画用紙を、ビリビリ破いたり、しわしわにしたり、丸めたり、チョキチョキきったり、折ったりして、ただの紙切れが「いのち」をもって動き出す瞬間を感じ取ってもらうという、実技を中心にした内容にしています。
 いつも、前日から工作物の準備をして箱につめ、新幹線の中でメモ(台本)を何度も読み返し、一時間前に会場入りして、心を鎮めて本番に臨むのですが、それでも最初は緊張します。
最初の出し物は、色紙をビリビリ破いて、その紙片を台紙にはり、これはただの紙キレですが、ここに、ポツポツとフェルトペンで目を描いて…口を描いて……「はい、ビリビリちゃんがうまれました!」というものです。
ここで反応がなく、シーン……とされると、困ります。そこさえクリアできれば、あとは、そのビリビリちゃんを歩かせたり、ブランコに乗せたり、おともだちを作ったりして、スムーズに展開していけます。それから、紙をしわしわにしたりハサミで切ったりと、いろいろやって、三時間くらい、最後はいつも大変盛り上がって終わります。
終わった後、先生方から、「造形が苦手だったが、なるほどこれなら私にもできる」「造形にたいして目からウロコがおちた」とよろこばれる、私が大切にしているプログラムなのです。
最初にいつもこのビリビリちゃんのあそびをやるのは、私自身がこのアイデアにとてもこだわりがあるからです。

ビリビリちゃん誕生!

のっぽさんの「できるかな」が終わり、わくわくさんの「つくってあそぼ」がはじまるとき、最初の一本目が、「ビリビリわくわく」という副題で、紙を破くというテーマでした。
年間企画は何とかできたものの、個々の中身はまだうっすらとしかできていませんでした。特にこの一本目は大変苦心いたしました。紙を破くというテーマは「できるかな」で、さんざんやりつくしたテーマだったからです。でも、紙を破くというのは、幼児の造形のなかで、創造的破壊の基本ですから、一本目として、はずせません。新しい切り口がだせるか、正念場でした。
アイデア会議の二ヶ月以上前から、自分の仕事場にこもり、紙をビリビリ破いては、ああ、これもやったし、あれもやったと確認するばかりで、新しいものが一つも出てきません。どうしよう、こんなことで新しい番組ができるのだろうかと、あせる毎日でした。
いよいよアイデア会議が迫った日、その日も紙を破き続けて、深夜まで、紙片の山にうもれて、ためいきをついていました。

もうやりつくしたよ、何もでないよ、とあきらめ半分に、一片の紙キレを手に持って、じーっとみつめていたときです。なぜか、その紙キレが、赤ちゃんのように笑ったような気がしたのです。
私はフェルトペンで、ポツポツと二つ点を描き込みました(目です)。
今度は私のこころに、はっきりと笑い声がひびきました。お口を描いてあげました。すると紙キレがムズムズと動きだしそうなので、手と足を描き足しました。
ビリビリちゃんの誕生です。
そうか!いままで紙を破いて、その「かたち」を何かに見たてようとしていたからいけなかったんだ!破いたまま、そのままでいきているんだ!あらためて部屋を見わたしました。
それまでの残骸としてまわりにつもっていた紙片の一つ一つが、みな、笑っているようにかんじられます。ああ、これも!これも!これも!みんな生きている!私は不思議な空間にすべり込んでいました。ためしに、その中の一枚をビリビリと破ってみました。一人のビリビリちゃんが二人になりました。また破くと三人生まれます。驚きでした。紙だけではありません。コップも時計も、椅子も、ゴミ箱まで部屋中のものが、みんなニコニコ笑ってこっちをみている!
不思議な感覚でした。
私はビリビリちゃんとあそびはじめました。ビリビリちゃんは次々と新しいあそびを私に教えてくれます。遊んでいる内に「ビリビリわくわく」という一本目のプランができあがっていきました。その幸福な感覚は、一時間くらい続いていたでしょうか。あそびが終わると、また静かな夜が戻りました。私は紙に感謝しました。そして、私は改めておもいました。
「かたち」じゃないんだ、「いのち」なんだ!
「造形」のいちばん根源のところをつかめた気がしました。
よし、これでいける!
そんなふうにして「つくってあそぼ」はすべりだしました。

「かたち」と「いのち」

造形という文字は「かたち」をつくると書きますが、幼児の造形の場合は、「かたち」だけでなく、「いのち」をつくるという側面をたいせつにしなければならないのではないでしょうか。
 子どもが、なぐりがきの時期を経て、人物らしきものを描く最初の絵は、よく知られているとおり、「頭足人」と呼ばれている、顔から直接手足がでている絵です。この表現は、人間の「かたち」の表現というよりも、むしろ、人間の「存在」、つまりは「いのち」の表現としてとらえたほうがよいのではないでしょうか。
そんな思いもあって、講習会の最初の出し物は、「ビリビリちゃん」から始めたかったのです。
でも、緊張している最初の状態では、この思いがなかなか伝わらないんじゃないかという不安がありました。なにかうちとけるいい方法はないものかといつも思っていました。
そんなある時、葛飾区の保育士会に招かれて行くことになりました。近いという気楽さもあって、その回は、ちょっとサービスのつもりで、小さなマリオネットを三つ、箱の中にしのばせて、持っていきました。
まず四本の糸で動かすアシカをみてもらいました(これはリアルな動きで、どこに持って行っても大変おどろかれます)。
次に三本の糸で動かす毛虫をみせました(これは、かわいい!とよろこばれます)。
そうして糸を減らしていって、最後に一本の糸で動かす積み木の子犬を見てもらいました(すご~い!生きてるみたい!不思議!と声があがりました)。この間五分位。
そしておもむろに、「今皆さんは、この人形達にいのちを感じたとおもいます。でも残念ながらこの人形たちが本当に生きているわけではありません。いのちのつぼみは、皆さん一人ひとりの心のなかでポッ!とひらいたのです。糸をつけなくても同じように、心の中のいのちのつぼみをひらかせることはできないでしょうか。きょうは、色画用紙を使って、どんなモノにもいのちをみつける心のおはなしをいたします。」そう前置きしてから、いつもどうりの内容を始めました。
効果はすぐあらわれました。
「ビリビリちゃんが生まれました」と言ったところで、会場がわっと湧いたのです。私は顔をあげて、皆さんの顔を見わたしました。どの顔もみんなニコニコと笑っています。ビリビリちゃんが誕生したあの夜のようです。
ああ、伝わったんだ、共感できたんだ。私はこのときに、マリオネットをやってきてよかった、造形アイデアの仕事をやってきてよかったと、心からおもいました。

アニミズム

物を単に「モノ」として客観的に見るのもたいせつですが、同時に、自分のいのちや感情を重ね合わせて、そのモノの中に表情をとらえる認知のしかたもあります。自動車のフロントは顔のように感じられますし、われたコップをみて、「かわいそう」と感じられたりするのもそうだと思います。ある先生は、自分が幼かったころ、遠足で川原に行ったときに、川原の石コロ一つ一つが、ぜんぶお母さんの顔に見えたというエピソードを想い出してくれました。小さな子が、いつもの日常から離れたときのちいさな不安感と、石コロの中にお母さんを感じたあとの安心感をよくあらわした話だと思います。そのあとその子はお母さんの愛を感じながら、思いっきり川原であそべたことでしょう。
外界の無生物にも意識や生命を感じる感性を「アニミズム」といいます。大昔の人が素朴に山や川を恐れたり慕ったりしたのは「原始アニミズム」、幼児が、石につまずいて、石も痛がっていると思ったり、寒い雪のふる日に木や花も寒がっているとかんじたりするのを「幼児アニミズム」といいます。そのような感性は、科学が発達した今日でも、大人になった人の無意識の中にも、地下水のように脈々と流れているのだとおもいます。
子どもたちは、紙や粘土やクレヨンの線や空き箱などに「いのち」を与え、あそびの中で、その子なりの天地創造をしているのだという認識が大事だと思います。「かたち」にとらわれて、巧拙を判断したり、また、共感することを忘れて、表現や伝達の手段としてのみ、造形を考えると、このいのちの創造というもっともたいせつな子どもの心の営みを見逃すことのなります。父母や先生やともだちと共感できた喜びを感じ、自身の存在に喜びを感じられることは、それがつみ重ねられたときに、やがてその子どもがこの世界とつながりをもって、自信を持って自立して生きていくことを助けるでしょう。それが、人への思いやりや、いのちを慈しむ心、物を大切にする心、真の創造性を育むのだと、私は思います。(1993/10/10幼稚園保育所の時間所収)